あの地震から今日で16年。
当時住んでたハイツが大きく揺れて、
生まれて1歳半のオネエをかばったのを想い出します。
大きく揺れましたが、加東市に大きな被害はありませんでした。
しかし、もしもバブルが崩壊していなければ、神戸にあのまま住んでいました。
そうなると新神戸で被災していたかもしれません。
震災後、独身の時に仕事で知り合った一人暮らしのおじいちゃんがライフラインが止まり、
困っているということで、灘区まで水と食べ物、そして、電気炊飯ジャーを持って行ってあげました。
新神戸トンネルを抜け市内に入ると、焼けこげた家、傾いたビル、壊れた塀等々、
数日経っていたにもかかわらず、まだ悲惨な状況でした。
震災前に住んでいたマンションは無事でしたが、おじいちゃんのマンションは半壊認定を受け、
家に入ると、中の家具がドアに倒れかかり空かない部屋があるというので、
ドアを蹴破り開けてあげたり、トイレの便器に持ってきた水を入れてあげたりしました。
すぐそばの小学校では、家を失い避難生活をしている人々が焚き火をしながら
たくさん暮らしてはりました。
子供の頃から、よく連れて行ってもらってた神戸。
大学卒業後、どうしても住んでみたかった神戸。
震災後もやっぱり神戸が好きやから遊びに行くのも神戸。
ヴィッセル神戸として初めて始動する日に震災が起こりました。
和田監督が今年のヴィッセル神戸の始動日を1月17日にどうしてもしたかったことに
神戸への想いが強く込められています。
神戸新聞記事
ヴィッセル神戸の選手、スタッフ、サポーターも含め、神戸市民、兵庫県民と
一緒に「ヴィッセル神戸」も新しい強豪チームへと成長して欲しいと思います。(^^)v
そして、神戸を含む兵庫県を元気にして欲しいと思います!!(^^)v
和田さんは、本当に郷土想いの良い監督さんです。(^^)v
「兵庫県人」の選手も、和田監督のように地元のプロチームでもある
ヴィッセル神戸に早く戻ってきて欲しいと思います。
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