あれから、18年。
大好きだった神戸の街に住んでましたが、
結婚を機に引越し、その3年後にあの震災が起こりました。
仲の良かったタナさんが灘区に住んでいたこともあり、
水や食料を届けに行ったことを思い出します。
道中は、崩れた建物や焼け焦げた建物跡があり、
近くの小学校では避難生活をされている方々が
たき火を囲んでおられました。
住んでいたマンションも半壊の判定を受け、
部屋の中の物が倒れて開かない部屋があったので、ドアのガラスを割って
中に入ったのを思い出します。
忘れないで生きて行こう!!
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