あの地震から今日で28年。
当時住んでたハイツが大きく揺れて、
生まれて1歳半のオネエをかばったのを想い出します。
大きく揺れましたが、加東市に大きな被害はありませんでした。
しかし、もしもバブルが崩壊していなければ、神戸にあのまま住んでいました。
そうなると新神戸で被災していたかもしれません。
震災後、独身の時に仕事で知り合った一人暮らしのおじいちゃんがライフラインが止まり、
困っているということで、灘区まで水と食べ物、そして、電気炊飯ジャーを持って行ってあげました。
新神戸トンネルを抜け市内に入ると、焼けこげた家、傾いたビル、壊れた塀等々、
数日経っていたにもかかわらず、まだ悲惨な状況でした。
震災前に住んでいたマンションは無事でしたが、おじいちゃんのマンションは半壊認定を受け、
家に入ると、中の家具がドアに倒れかかり空かない部屋があるというので、
ドアを蹴破り開けてあげたり、トイレの便器に持ってきた水を入れてあげたりしました。
すぐそばの小学校では、家を失い避難生活をしている人々が焚き火をしながら
たくさん暮らしてはりました。
子供の頃から、よく連れて行ってもらってた神戸。
大学卒業後、どうしても住んでみたかった神戸。
震災後もやっぱり神戸が好きやから遊びに行くのも神戸。
2011.01.17のブログ記事です。
22歳から24歳まで新神戸で暮らしてました。
今また、こうやって神戸で会社を経営することになり
あの震災が嘘のように復活してる神戸がますます大好きです。(^^)v
ただ、震災の悲劇を忘れないように・・・。
イニエスタもメッセージを送ってくれています!!(^^)v
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